ネコだけど羊。

しゃみです。ピアノ演奏動画や楽譜の作成、また詩や曲の解説記事を書いています。

ミサ曲解説③ Gloria(2)

ミサ曲のGloriaの詩についてのお話、後編です。

歌詞

Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.
世の罪を除きたもう主よ、われらの願いをききいれたまえ
Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis.
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ


Quoniam tu solus sanctus.
主のみ聖なり
Tu solus Dominus. Tu solus altissimus, Jesu Christe.
主のみ王なり 主のみいと高し、イエス・キリスト
Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに
Amen.
アーメン

 罪・あわれみ

それぞれ以下の過去の記事を参照ください。

 

世の罪を除きたもう主 

イエス・キリストのことです。イエスは、罪を背負う人間の代わりに十字架につけられ、それが罪の赦しに繋がるというキリスト教の思想があります。

詳しくはAgnus Dei(神の子羊)の歌詞解説で述べますが、旧約聖書ユダヤ教の慣習では、人々は神に対して生贄をささげていました。羊なんかがよくあるケースですね。イエスが「神の子羊」と言われるのは、イエス自身が人間の罪のために、神の「生贄」となった面もあるからです。

なのでイエスは「世の罪を除きたもう」主なのですね。

……といっても人間の罪は「赦された」と完了形で語ることはできません。あくまでも、イエスを通して罪の赦しが得られる「可能性が出てきた」という表現の方が正しいです。赦しのためにも、イエスを通して、神に祈り、またそれにふさわしい生活を送らねばなりません。

父の右に座したもう主

エスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。」(マタイによる福音書26章64節・新共同訳)

「父なる神の右に座す主(神)」はイエス・キリストのことです。イエスは十字架につけられて死んだ後、3日後に復活し、40日間再びこの世に現れました。その後再び天に昇り、そこからは全能の父なる神の右にいる、というのが聖書のストーリーです。そのことを言っています。

Qui tollis…の段は少し毛並みが違う

他の段は神の偉大さや栄光を讃える内容になっていますが、この部分だけは、神への祈り(懇願)になっています。ミサ曲ではこの部分がサビ(という表現が適切か分かりませんが)のように壮大だったり、逆にしんみりしたり…というものもあるかと思います。

罪の話の繰り返しになりますが、(キリスト教の)罪というものは、人間の力では解決したり乗り越えたりできるものではないのです。(ざっくばらんといえば…罪=神様との関係が途切れていること)。しかし、神様の方から、罪を背負う人間に歩み寄ってくださったので(=イエスキリストが世に遣わされた)ので、私たちは救い主イエスを通して、神様に繋がることができることができるのです。

なので自分たちを罪から救い上げてほしいと、イエスを通して神に祈るのです。

アーメン

元はヘブライ語です。「本当に」「まことに」「そうでありますように」という意味です。キリスト教のお祈りのシメのテンプレです。祈りが「そうなりますように」とシメます。

教会の礼拝の中では牧師や司会がお祈りをし、最後の「アーメン」だけ全員で唱えます。(礼拝でなく、小さな祈祷会なんかでは、参加者の誰かが/順番に祈ることも勿論あります)祈りを口にしていない人々も、最後に一緒にアーメンということで祈りに加わったことになります。最後にアーメンと言うことで、牧師や司会者と同じように祈ったことになります。

あと、お祈りの最中も、その祈りの中にとても共感したところ等があれば「アーメン、アーメン」と自分だけに聞こえるくらいの声でつぶやくこともあります。このあたりは自由です。 

それでは、今日はこれくらいで。

前編はこちらから