ネコだけど羊。

しゃみです。ピアノ演奏動画や楽譜の作成、また詩や曲の解説記事を書いています。

ミサ曲解説② Gloria(1)

ミサ曲解説シリーズ第2弾。Gloriaの解説です。長い歌詞なので前半後半に分けたいと思います。

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 歌詞

※原典には段落はありませんが、便宜上見やすいように加えています。内容の区切りとして下記のように4つのパートに分けられると思いますが、あくまでも私個人の考えですので、参考程度に…。この記事では前半2パートをみていきます。

Gloria in excelsis Deo.
天のいと高きところには、神に栄光あれ
Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
地には、善意の人に平和あれ


Laudamus te. Benedicimus te.
われら主をほめ、主をたたえ、
Adoramus te. Glorificamus te.
主をおがみ、主をあがめ、
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
主の大いなる栄光のゆえに、主に感謝してたてまつる

Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.
神なる主、天の王、全能の父なる神よ
Domine Fili unigenite, Jesu Christe.
主なる御ひとり子、イエズス・キリストよ
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.
神なる主、神の子羊、父の御子よ


Qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ
Qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostram.
世の罪を除きたもう主よ、われらの願いをききいれたまえ
Qui sedes ad dexteram Patris, miserere nobis.
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ


Quoniam tu solus sanctus.
主のみ聖なり
Tu solus Dominus. Tu solus altissimus, Jesu Christe.
主のみ王なり 主のみいと高し、イエズス・キリストよ
Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris.
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに
Amen.
アーメン

天のいと髙きところには・・・は聖書からの引用

Gloria in excelsis Deo.
天のいと高きところには、神に栄光あれ
Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
地には、善意の人に平和あれ

この部分は聖書からの引用です。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 

--ルカによる福音書 2章8~13節 新共同訳

冒頭の(※)部分は私の補足です。また太字部分も同様です。

この直前の2章1~7節が、マリアとヨセフのもとに神の御子イエスが誕生したときの話です。ここ8節~は、その地方(ベツレヘム)の羊飼いの元に主の天使があらわれ、太字の様に神を賛美した…というシーンです。

Gloriaは「栄光の讃歌」とも言われます。Gloriaは英語のGloryです。神の偉大さ、素晴らしさをほめ讃えることです。何で?と言われるとそこに答えるのは難しいのですが。この聖書の箇所に限定すれば、「神が人になってこの世に顕れた。しかも処女から生まれた。こんなことできる神様はやっぱり偉大ですげーよ。讃えるしかねえ。」ってニュアンスでしょうか。

訳は「善意の人」より「御心に適う人」が適切

多くの日本語訳ではここは善意の人と訳されていますが、あまり良い訳とは思えません。聖書やキリスト教に親しんでいる人は「御心に適う人」の方がしっくりきます。

「御心に適う人」とは、神様に喜ばれる(心を持ち、また言動に表れる)クリスチャンのこと、と言うことが言えます。

神と主ってどう違うねん

Laudamus te. Benedicimus te.
われら主をほめ、主をたたえ、
Adoramus te. Glorificamus te.
主をおがみ、主をあがめ、
Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam.
主の大いなる栄光のゆえに、主に感謝してたてまつる

Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.
神なる主、天の王、全能の父なる神よ
Domine Fili unigenite, Jesu Christe.
主なる御ひとり子、イエズス・キリストよ
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.
神なる主、神の子羊、父の御子よ

ラテン語のteは英語で言うyou(あなた)です。Deusは「神」、Domine(Dominusが文法上変化したもの)は「主」です。「神」と「主」ってどう違うねんという話を少しだけ・・・。

結論から言うと、主も神も同じ意味と考えて差し支えありません。呼び方によってほんのすこーーーーーしだけニュアンスが異なる程度です。語源が違うので。

「神」はそのままですね。神です。ラテン語のDeusはそもそも神の意味です。

「主」は日本語ではあまりなじみが無いのではないでしょうか。ラテン語のDominusは「所有者」を意味します。英語のdominate(所有する・占有する)の語源でもあります。

これは私見ですが、神を「主」と呼ぶときは、神の権威面がより強調されたニュアンスを感じます。この世の支配者であり、ルールである神、人間は神に支配されているというニュアンスが背後に見えます。まあそんなに気にしないですけど…。

9/21追記

なので、神に何かを願うとき、祈るとき、感謝するとき…といったようなときは、(どちらかといえば)「主」ということばを使う…気がします。「神」というと客観的、「主」というと主体的なイメージがあります。いちクリスチャンとして私のイメージですけどね。(教師でも聖職でもなく一信徒ですので、悪しからず)

神とイエスってどう違うねん。

これ、実は宗教にはクッソ難しい問いです。そもそもキリスト教ユダヤ教から派生しました。ユダヤ教はいわゆる一神教です。日本みたいに神様はたくさんいません。「神」は唯一絶対神です。これはシンプルで分かりやすいのですが・・・。

キリスト教ユダヤ教から派生しました。知っている人も多いと思いますが、ユダヤ教キリスト教(とイスラム教)は同じ神を信じています。キリスト教ユダヤ教の一番の違いは、イエス・キリストを救い主=神と認めるか否かです。

ここでカンがいい人は気づくと思いますが、一見すると大きな矛盾がキリスト教にはあります。神は唯一絶対神(神のほかに神はいない)なのに、イエス・キリストも神と認めてしなう。そうなると神は2人いることになり、唯一絶対神という前提に矛盾します。

ここでこの矛盾を打開するため(というわけではないのですが)、ポイントとして、キリスト教には「三位一体」という考え方があります。すなわち父なる神(天にいる神・唯一絶対神)、子なる神(イエス・キリスト)、精霊(神の力が私たちに働くための触媒のようなもの)の3つは、形は異なれど実態は「同じ神」だということです。神には3つのパターンがあるけど、中身は同じだから、唯一絶対神の性質に矛盾しないのです。なんだか話が哲学的になってきた・・・。すみません、次の話の前振りが長くなった。

異なる呼びかけ――父なる神と子なる神

Domine Deus, Rex caelestis, Deus Pater omnipotens.
神なる主、天の王、全能の父なる神よ

これは父なる神(天の神)に対する呼びかけです。「全能の」は父なる神にしか対応しない言葉です。全能とは、この世の全てを自分の思うままにできること、この世の全てを支配していること、という意味です。

Domine Fili unigenite, Jesu Christe.
主なる御ひとり子、イエズス・キリストよ
Domine Deus, Agnus Dei, Filius Patris.
神なる主、神の子羊、父の御子よ

これは子なる神 (イエス・キリスト)に対する呼びかけです。見りゃ分かりますが。
ポイントは、「神の子羊」「父の御子」という言葉はイエスにしか対応しません。父なる神によってこの世に派遣され=父の御子、人間の罪を取り除くために十字架に懸けられて死んだ=神の子羊、がイエス独特のポイントだからです。この「神の子羊」というところに、宗教としてのキリスト教の一番大切なエッセンスが詰まっています。ここの詳しい解説は、ミサ曲「Agnus Dei」の解説の中でしたいと思います。

 

・・・このペースで書くと長くなりますね。今日はここまで。では!